石川数正はなぜ出奔した?『豊臣兄弟!』第40回の史実と理由の諸説、のちに関わった松本城

石川数正はなぜ出奔した?『豊臣兄弟!』第40回の史実と理由の諸説、のちに関わった松本城

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10月18日(日)放送の大河ドラマ『豊臣兄弟!』第40回で、徳川家康の重臣・石川数正(いしかわ かずまさ)が豊臣方へ出奔しました。放送のあと「数正はなぜ家康のもとを離れたの?」「史実ではどうなった?」と気になった人も多いと思います。

先に結論です。史実の石川数正は、天正13年(1585)11月13日に岡崎城を出て、羽柴秀吉のもとへ移りました。ただ、なぜそうしたのかを本人が書き残した史料はなく、理由ははっきり分かっていません。その後の数正は秀吉から領地を与えられ、最後は信濃の松本城主になりました。いま国宝になっている松本城の天守は、数正の子・康長の代に建てられたと考えられています。

この記事では、第40回の内容、史実の出奔と理由の諸説、その後の数正、松本城を訪ねるときに知っておきたいことをまとめました。

目次

『豊臣兄弟!』第40回「あさひの輿入れ」のあらすじ

第40回「あさひの輿入れ」は、10月18日(日)にNHK総合で放送されました。テレビ情報サイトに載った番組のあらすじによると、次のような回です。

  • 数正(迫田孝也さん)が豊臣方へ出奔し、徳川家中が騒然となる
  • 豊臣との戦は無理と思われたが、家康(松下洸平さん)はあきらめない
  • 秀吉(池松壮亮さん)が挙兵を決めたところで大地震が起き、大坂も浜松も大きな被害を受ける
  • 両者は和睦を探るが、家康は秀吉の身内を妻として差し出すよう求め、輿入れできるのはあさひ(倉沢杏菜さん)だけだった

放送中から、Yahoo!リアルタイム検索のトレンドに「石川数正」が入りました。

大地震とあさひの輿入れも史実?

第40回では、数正の出奔のほかに、大地震とあさひの輿入れも描かれました。どちらも史実をもとにした出来事です。

サライ.jpの別の解説記事によると、天正13年(1585)には大きな地震(天正地震)が起きています。数正が出奔したのと同じ年です。そして翌年の天正14年(1586)、秀吉の妹・旭(あさひ)は前の夫と別れたうえで家康に嫁ぎました。このとき家康も旭も40代半ばだったとされています。

ドラマでは、出奔、地震、輿入れが1回の中で続けて起きます。史実でも、数正の出奔から旭の輿入れまでは1年もたっていません。秀吉と家康の関係が短いあいだに大きく動いた時期だったことが分かります。

史実の石川数正はどんな人?

石川数正は、家康に長く仕えた重臣です。国土交通省の観光庁が作った松本城の解説文では、家康の生まれた岡崎城の守りを任されていた人物と紹介されています。

小学館の雑誌サイト「サライ.jp」の解説によると、数正が岡崎城を出て秀吉のもとへ向かったのは、天正13年(1585)11月13日です。前の年には、秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いがありました。

なぜ秀吉のもとへ?理由の諸説

数正が出奔した理由は、いまも分かっていません。サライ.jpの解説では、辞典ごとに次のように書かれていると紹介されています。

出典 理由の書き方
日本大百科全書(小学館) 路線論争に敗れて
国史大辞典(吉川弘文館) 原因は不詳

秀吉と手を結ぶべきだと考える立場になっていた可能性も指摘されていますが、数正本人の気持ちを示す史料はありません。秀吉からどんな働きかけがあったのか、出奔までにどんなやり取りがあったのかも、はっきりしていません。

理由が分からないからこそ、小説やドラマでは書き手ごとに違う数正が描かれます。『豊臣兄弟!』の数正がどんな思いで動いたのかは、ドラマの描き方として楽しむのがよさそうです。

出奔したあとの数正と松本城

サライ.jpによると、数正は天正14年(1586)の正月に、秀吉から和泉国(いまの大阪府南部)に領地を与えられました。石高は10万石ともいわれますが、国史大辞典はこの数字に疑問を示しています。

天正18年(1590)の小田原攻めのあと、数正は信濃の松本城主になりました。文化庁の「文化遺産オンライン」によると、数正は松本に入るとすぐに城の改修を始めましたが、まもなく亡くなり、子の康長が仕事を引き継いで天守を建てました。

松本市は、天守を建てる作業がいちばん進んだのは文禄3年(1594)ごろと推定しています。天守は昭和27年(1952)に国宝に指定されました。松本城の公式サイトでは、いまに残る五重六階の木造天守としては最も古いものと紹介されています。家康のもとを去った数正が、のちに国宝の城の始まりに関わったことになります。

松本城を訪ねるなら知っておきたいこと

ドラマをきっかけに、数正ゆかりの松本城へ行ってみたくなった人もいると思います。松本城の公式サイトの観覧案内(10月18日時点)をもとに、行く前に確かめておきたい点をまとめました。

項目 内容
開場時間 通常8時30分〜17時(最終入場16時30分)
休み 年末の12月29日〜31日を除いて無休
観覧料(個人) 大人:電子チケット1,200円、紙チケット1,300円/小・中学生400円
天守の見学時間 平均で約45〜60分

天守の中は階段でしか上れません。公式サイトによると、階段は約140段あり、いちばん急なところは約61度です。天守の中は土足禁止で、入口で靴を入れる袋が配られます。荷物は少なめにして、歩きやすい靴で行くと安心です。

松本の観光ガイドブック

松本城のまわりの城下町や、近くの安曇野・白馬まで回るなら、ガイドブックが1冊あると計画が立てやすくなります。「るるぶ 安曇野 松本 白馬 ’27」は、2026年4月に出た最新版です。

泊まりで行くなら

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ドラマの前後に読みたい本

数正を主人公にした一冊

三宅孝太郎さんの『石川数正』(学陽書房 人物文庫)は、タイトルのとおり数正を主役にした本です。ドラマとは別の目線で数正の生き方を追いたい人に向いています。

小牧・長久手の戦いを漫画でおさらい

出奔の前の年に起きた小牧・長久手の戦いは、秀吉と家康の関係を知るうえで欠かせない出来事です。ポプラ社の「コミック版 日本の歴史」シリーズの『小牧・長久手の合戦』は、2024年3月に出た漫画で、戦いの流れをつかむのに役立ちます。

よくある疑問

Q. 石川数正が出奔したのはいつですか?

天正13年(1585)11月13日です。岡崎城を出て、秀吉のもとへ移りました。

Q. 数正はなぜ家康を裏切ったのですか?

はっきりした理由は分かっていません。日本大百科全書は「路線論争に敗れて」、国史大辞典は「原因は不詳」としています。本人の考えを示す史料は残っていません。

Q. 松本城は石川数正が建てたのですか?

数正は松本城主になってすぐに城の改修を始めましたが、天守を建てたのは子の康長の代と考えられています。

まとめ

『豊臣兄弟!』第40回で描かれた石川数正の出奔は、天正13年(1585)11月13日に実際に起きた出来事です。理由は辞典によって書き方が違い、本人の考えは分かっていません。その後の数正は和泉、そして松本へ移り、いま国宝として残る松本城の始まりに関わりました。ドラマで気になった人は、数正を描いた本を読んだり、松本城を訪ねたりして、続きを楽しんでみてください。

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この記事を書いた人

仕事と育児に追われながらも家電や節約など
生活に関する事を紹介しています!
お菓子のたべっ子どうぶつに絶賛ハマり中。
ちなみに目玉焼きはマヨネーズ派です。

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